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清掃工場だより8月号

「煙突を見ながら」

 

突然ながら、多摩清掃工場といえば…

やはり、私はあの100メートルの煙突になるのである。

 

多摩の丘陵地に悠然と立ち、その役目を果たし、多摩ニュータウンは元より四方を遠方まで見守り、また、見られている清掃工場のシンボル。

雨の日も風の日も、あの東北地方を襲った大地震でも踏ん張り、立ち続けるシンボル。

高い建築物の中にはワイヤー等で支持をしてもらう建築物もあるが、この煙突は自身のみで立ち、他からの支持を受けない。

 

その自身で立つ姿が少し大袈裟だが、一万円札に肖像されていたあの方の「独立自尊」と重なるのである。

自らの役目を果たし、社会の一員として貢献する、来る日も来る日も…

 

素晴らしい。

 

独立自尊、その先にあるのは「共生他尊」である。

通信・機械技術の発達により社会は急速に変化し、個の欲を充たす環境はますます整えられた。また、コロナ禍を経て他との接点を減らしても生活できてしまう時代であることも実感させられた。

でも、個が独立し他を尊び共存する、この考え方は、これから我々が応じる環境問題や社会課題にも必要とされる考え方だと思う。

 

我が清掃工場では、煙突に登るイベントを企画している。毎日毎日その役目を努めている煙突の背中?頭部?を借りて、多摩市内最高の場所から眼下に広がる日常を見て、個と他の関わりを考えてみてはどうだろう?

学べるものがあるのではないか?と思うのである。